年度聖句
【コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章58節】
「主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
「コロナ禍」と言われる時が4年以上続き、教会として様々な面に於いて困難な状況に立たせられました。しかし、形の変更はあったとはいえ、この間も一度も礼拝を欠かすことなく出来たことは私たちにとって大きな恵みの出来事でした。
礼拝する喜び、教会に集う喜び、信仰の友と出会う喜び、私たちは沢山の恵みを「喜び」という形で神さまから与えられていることを知ることが出来たことは、「コロナ禍」という困難な時に私たちに与えられていた「主の恵み」であったのだと思います。
その困難がだんだんと収束に向かっているこの時、神様からたくさんの恵みを受けていることへの感謝の思いを新たに覚えるために、主に応える業である「奉仕」を中心に置いて教会の歩みを進めてまいりたいと思います。
「奉仕」は、教会における全ての業に通じるものであり、教会を教会たらしめる働きです。一つ一つの働きが主につながっていることを覚えてまいりましょう。
「奉仕」とは、聖書の中で言われる「仕える」ことから始まったものでありますが、まず初めに仕える者となられたのはイエスさまご自身であり、「神と人に愛された」イエスさまは、「神と人に仕える」方でもありました。
つまりわたしたちの「奉仕」の原形はイエスさまにあります。イエスさまは「食事をする暇もない」(マルコ3:20)こともたびたびあり、いつも「枕する所もない」(マタイ8:20)多忙さと心労の中に常に置かれていました。
しかし、その中にあっても決して祈りを忘れることなく、一人で祈り、神と向かい合いながら、また働きへと足を向けられていったのです。わたしたちも生活の中で様々な忙しさにありますが、教会での「奉仕」がこの世の働きとは違い神様への感謝の思いに満たされて行うことであること、誰かに命令されて行うことではなく、ただ自分の信仰に突き動かされて行われていることであることを、この一年の歩みの中で改めて気付いてまいりたいと思うのです。
わたしたちの世には厳しい現状があります。ロシアのウクライナ侵攻に見られるような惨劇、能登半島地震をはじめとした災害の中で、私たちは誰かの支えになることが出来るようにと祈ります。実際には何も出来ないことの多い私たちですが、主なる神さまはそんな私たちの思いを知り、そこに御業を表して下さる方です。
教会という存在は「奉仕」なしにはなり立たないものですが、この教会の歩みが主に感謝しながら、更に「仕える喜び」に満ちあふれるように、歩んで行くことが出来るように願っています。
イエス・キリストがその身を貧しくされ、どんな人たちにも寄り添って行かれたこと、十字架の上から贖いの恵みを与えて下さったこと、そして神と人とに仕える方であったことを私たちは知っています。イエスさまは仕える中で必ず「喜び」を覚えられ、そこに「希望」を見出して行かれました。わたしたちもこのような時にこそ「仕える喜び」を分かち合い、この場所を主に喜ばれるものとしていきたいと思います。
「主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」〔コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章58節〕と聖書にもあるように、奉仕の中で主と結びつけられ、その歩みの確かさを感じながら歩んでまいりましょう。
【具体的目標】
①奉仕する喜びを味わう
奉仕の業は全て教会を支える働きであることを覚え、主の恵みに応える喜びを持って仕える。
②礼拝に対する意識の充実
どのような形であれ礼拝に出席できることの恵みをしっかりと受け止め、御言葉に与ることの恵みを覚えつつ、仕え合う友のことを覚えて祈る。
動画配信で出席する方々のことも覚え「一つなる礼拝」を形づくることを心がける。
③主の恵みに応えて、教会財政を支えよう
与えられている恵みを覚えつつ献金をおささげする。
玉川教会の将来構想なども検討し必要なものが与えられるように祈る。
2024年度 定期総会資料(衛藤満彦牧師)より