神の国は近づいた
2017年1月22日降誕節第5主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。マタイによる福音書 4章12〜17節
▼異例ではありますが、先ず、マルコ福音書12章28節以下を読みます。
『28:彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、
イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
29:イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。
『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
30:心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
31:第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』
この二つにまさる掟はほかにない。」
32:律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。
『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
33:そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、
また隣人を自分のように愛する』ということは、
どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
34:イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、
「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。』
▼あくまでも、引用ですので、結論部だけを申します。
『もはや、あえて質問する者はなかった』ということから判断して、これは律法学者がイエスさまから大いに褒められたという話ではありません。評価されたのなら、「それから後、イエスさまに質問する者が相次いだ」となる筈です。『あなたは、神の国から遠くない』とは、良い線行っているよと言うよりも、その遠くない距離を、あなたは飛び越すことが出来ない、その決断がないということです。
この律法学者は、イエスさまに質問に来る程、熱心な求道心を持っています。律法の学びは勿論、子どもの頃から習熟しています。です。しかし、決断して飛躍することが出来ません。
現代風に言うならば、インテリ病です。何でも知っているようで、本当は、何も身に着いていないのです。自分のものには出来ていないのです。
▼このことは、マルコ福音書10章の所謂「富める青年の話」でも同じです。彼にも永遠の命を求める信仰心があります。少年期から律法の学びを重ねて来ました。おまけに財産家でした。しかしと言いますか、むしろそれ故に決断できず、イエスさまに従うことが出来ませんでした。
イエスさまに従ったのは、例えば、先週の日課に登場した漁師たちのような、何も持っていない人々でした。
▼そして、今日の箇所になります。
終わりの17節から読みます。
『そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、
宣べ伝え始められた』
まことに異例ながら、最初にマルコ福音書12章を引用した理由がお分かりいただけると思います。
マルコ福音書12章、そして10章に登場する律法学者は、自らイエスさまに近づきました。自ら語りかけました。しかし、イエスさまが、付いて来なさいと言われても、それに従うことが出来なかったのです。
▼そもそも、自分が『天の国』に近いと考えていた人は、天国の門を潜ることが出来ません。身をかがめることが出来ません。
またまた脱線かも知れませんが、マルコ福音書10章14~15節。
『「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
15:はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。」』
これも引用ですから、結論だけを申します。
『子供のように神の国を受け入れる』とは、子どものように無垢に、純真にというようなことではありません。何も持っていないということです。マルコ福音書12章、そして10章に登場する律法学者と真逆の存在なのです。
何も持っていません。誇りも拘りも持っていないし、先入観もありません。ですから、身をかがめて天の国の門を潜ることが出来るのです。
▼『悔い改めよ。天の国は近づいた』
悔い改める時に、人はどんな姿勢を取るでしょうか。立ち上がって、両手を上げる人はいないでしょう。身をかがめるのです。
『悔い改め』とは、単なる後悔・懺悔ではなくて、方向転換だという説明がなされます。その通りでしょう。
同時に姿勢の転換です。身をかがめるのです。
敢えて言えば、方向転換ですから、立ち止まるのではなくて、歩き始めます。
身をかがめて歩くのは容易ではありません。
これは比喩です。身をかがめて歩くとは、謙遜に仕えるということです。神と人とに仕えるということです。
その教えを、イエスさまは随所で述べておられます。
またまたマルコ福音書ですと、8章34節を上げましょうか。
『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』。
ヨハネ福音書の洗足の教えの箇所を上げても良いかも知れません。本当に、随所で述べておられます。
▼身をかがめて歩くことを文字通りに実践する信仰があります。一番極端なのは、ヒンズー教に登場します。
私はヒンズー教の教典など殆ど知らないので、谷崎潤一郎で読んだことですが、ヒンズーの行は過酷なものです。両手を組み合わせて絶対に解かない、ために伸びた爪が、掌に食い込み、破り出るというのがあるそうです。
聖地巡礼に、這って行く行もあるそうです。文字通りに身をかがめて歩く、否、這い進むのです。
まあそんな例を持ち出すまでもなく、達磨さんを例に挙げれば充分でしょうか。
ヒンズーや仏教の真似は出来ませんし、真似る必要もないでしょうが、悔い改めて身をかがめて生きるということを、私たちはもっと真摯に受け止めなければならないでしょう。
▼『「悔い改めよ。天の国は近づいた」』。
私たちが近づいたのではありません。天の国が近づいたのです。
『近づいた』、この字を巡ってはいろいろと指摘されています。なかなか日本語では表現し辛いもので、単に近づいたではなく、既に来た、実現したという意味合いを持つと言われます。何れにしろ、その『近づいた』『天の国』に、どのように向かい合うのか、それが問われています。
▼12~13節を読みます。
『イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
13:そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町
カファルナウムに来て住まわれた』
読みようによっては、と言うより、普通に読めば、『ヨハネが捕らえられたと聞き』、危険を避けるために逃れたとなります。マタイ2章13節にも通じます。
『占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、
わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
14:ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
15:ヘロデが死ぬまでそこにいた。』
▼単なる逃亡ではなく、大きな意味があったと取ることも出来ます。
マタイ2章15節
『それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、
主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。』
これは聖書の預言に合わせた結果で、実際にはエジプト逃亡などなかったと考える人が少なくありません。
同様に、『カファルナウムに来て住まわれた』と書くことで、カファルナウムのイエスは、あくまでも14節の、イザヤの預言に合致するナザレのイエスなのだと説明していると考える人が少なくありません。
しかし、どうもそういうことだけではありません。
それにはガリラヤそのものについて知らなければなりません。
▼前回9年前に、かなり詳しく説明しています。長くなりますから、今回は、端折って申します。ガリラヤという地名は、聖書世界の中で、独特の響きを持っています。それを一言で表現すれば、『異邦人のガリラヤ』ということになりましょう。
ガリラヤはエルサレムから見たら、辺境の地です。この地理的な条件が決定的です。
ヨシュア記、士師記の時代を経て、ユダヤ人がカナン地方に定着して行きましたが、ガリラヤでは先住民族の残存勢力が強かったようです。なかなかユダヤ化が進まなかったのです。旧勢力と新勢力の争いが続き不安定で、そうなると、当然豊かではありません。
▼南北分裂以降、度々外国軍に侵略されたのもガリラヤです。繰り返される外国軍の征服によって、人種的にも文化的にも、混血が行われます。『異邦人のガリラヤ』と呼ばれる所以です。
いろんな国の軍隊が、ユダヤに攻め込んで来ます。北は勿論東からの軍勢も、ガリラヤを通って、エルサレムを目指します。つまり、エルサレムが無事に守られたという戦いであっても、ガリラヤは戦場とされたのです。
そういうことが頻繁に起これば、不安定でそして貧しいのは当たり前です。
▼その一方では、紀元前80年、マカベア朝のアレクサンドロス・ヤンナエウスによって、ガリラヤは約700年ぶりにユダヤ人の手に取り戻され、この経緯から、エルサレムにも増して、愛国運動の根拠地となります。
そして、それも束の間、紀元前63年には、ユダヤの全土がローマの占領下に置かれてしまいます。
イエスさまの時代には、ガリラヤはヘロデ・アンティパスの領地であり、公用語はギリシャ語、民衆が日常用いる言葉はアラム語の方言というように、やはり、混淆的な文化・宗教の下にありました。
やはり、『異邦人のガリラヤ』です。
▼端折ってと言いながら、結構長くなりました。しかし、本当ならば、もっともっと語るべきことがあります。肝心なことは、イエスさまは安全で平和な町に逃れたのではないということです。
16節。
『暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』
『イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
13:そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町
カファルナウムに来て住まわれた』
そこは、『死の陰の地』だったのです。
ヨハネという光、ヨハネという希望が失われた時、イエスさまは、『死の陰の地』『暗闇に住む民』のもとに赴かれたのです。
▼16~17節を続けて読んで見て下さい。
『暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
17:そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。』
『天の国は近づいた』が福音であるのは良く分かります。しかしそれだけではありません。『悔い改めよ』この言葉こそが福音なのです。
マルコ福音書10章に登場する人々の例で分かりますように、私たち人間は、自らの決断で神に近づくことが出来ません。近づいたとしても、従うことが出来ません。
『悔い改めよ。天の国は近づいた』。この言葉が必要なのです。イエスさまが近づいて来られたのです。
▼『悔い改めよ』。
私たち人間は、悔い改めることが困難です。何かしら自分の考え、生き方をもって、辛い体験を重ね、やっと辿り着いた場所にいるのです。それを捨てることは出来ません。捨てる根拠・覚悟が見つかりません。
一方で、私たちは自分の現状に決して満足していません。だからこそ、神を求めます。
その時に、『悔い改めよ』と言われました。この言葉を根拠に、私たちは、悔い改め、方向転換し、生きる道を見出すことが出来るのです。
自分の知識や体験に拘泥していた時には得られなかった、かがんだ姿勢で、天の国の門を潜ることが出来るのです。