使徒パウロ救済史を語る

2014年7月13日主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)

 パウロとその一行はパフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。
 「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』

使徒言行録13章13節〜25節

▼S.ツヴァイクによれば、歴史とは本来雑多で無目的な出来事の集積でしかありません。しかし、そこに歴史家の目、つまり光が当てられる時、これは意味を持ち命をもつのであります。

▼聖書そのものは、雑多で無目的な出来事の集積ではありません。しかし、その中からある一点に焦点を当てて、それを取り出すことが、既にして、意図的な編集であり、解釈であります。
 そういう意味で、パウロが語った言葉の一つひとつに目を向ける前に、あの膨大な聖書、旧約聖書の中で、パウロが特に何を取り上げたかということが、先ず重要になります。旧約聖書、新共同訳聖書で1501頁の分量を、使徒パウロは、約2頁に要約します。

▼パウロは説教で、旧約聖書の中の何を取り上げたか、それを順に見ます。
 最初に、17節。
 『イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し』
 逆に言えば、イスラエルの歴史は、神の意志に基づいて、神に選び出される事によって始まりました。
 このことは、教会にも全く当て嵌まることであります。教会とは公同の教会、見えざる教会、世界全体の教会であり、目に見える教会、一つひとつの教会のことであります。私たちの玉川教会も、公同の教会に連なるものとして、見えざる教会として、そして、具体的にこの玉川の地に立てられた目に見える教会として、その歩みが始まりました。

▼加藤徳さんの茶の間で教会学校が始まり、大人の集会に発展し、やがて人数が増え、専任の牧師を迎え、自分たちの礼拝堂を建て、これも手狭になり現在地に移転し、そういう、説明の仕方もあります。それで、100%間違いはありません。
 しかし、同時に、私たちの玉川教会についても、17節は、完全に当て嵌まるのであります。
 『イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し』。
 これも、100%間違いはありません。
 
▼次に、同じ17節。
 『民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし』
 『民がエジプトの地に住んでいる間』、創世記を読めば分かりますが、その発端は、ヨセフが他の兄弟たちによって、エジプトに奴隷として売り飛ばされたことであります。その後も、出エジプト記にありますように、イスラエルは奴隷として多くの苦しみを味あわなくてはなりませんでした。
 それを使徒パウロは、『民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし』と総括するのであります。順番を逆に読めば、『これを強大なものと』するために、イスラエルは『エジプトの地に』移され、長い時を苦難の内に過ごし、そして、時が与えられて、約束の地へと向かったのであります。

▼これも17節。
 『高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました』
 出エジプトの出来事であります。
 奴隷として売り飛ばされ、塗炭の苦しみを味わったことから、救い出され、約束の地に向かったことまでが、一連の神のご計画なのであります。パウロはそのように理解し、そのように説いています。ここの部分は幸運・幸福、ここの部分は災い・不運、そういう説明ではありません。全てが、一連の神のご計画なのであります。
 そして、そのことは、創世記・出エジプト記の記述と全く合致するものであります。

▼玉川教会は戦後の教会でありますから、奴隷として売り飛ばされ、塗炭の苦しみを味わったことはないかも知れません。しかし、選ばれ移され約束の地に向かう、この点は一致致します。
 もしかすると、エジプトの苦悩を味わうのはこれからかも知れません。それとも、今それを味わっているのでしょうか。
 パウロは、時間が限られていて、そんなことに言及する暇がなかっただけかも知れませんが、エジプトで、そこを逃れた後のシナイの荒れ野で、人々がつぶやき、不平不満を言い連ね、結果として倒れていったことには、触れません。
 つぶやき、不平不満を言い連ねるのが人間の現実であります。しかし、パウロにとっては、それは歴史の脇のこと、肝心なことは、17節の全体なのであります。
 『この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの
地に住んでいる間に、これを強大なものとし、
高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました』。

▼18節。
 『神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び』。
 これは、人々がつぶやき、不平不満を言い連ね、結果として倒れていったことを指しています。しかし、パウロの歴史理解、総括によれば、『神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び』なのであります。『神は耐え忍び』なのであります。耐え忍んだのは、イスラエルの民ではありません。神なのであります。
 このことも、玉川教会に重なるのでしょうか。重ならないでしょうか。私たちの玉川教会に、つぶやき、不平不満があるとすれば、『神は耐え忍』んでおられるのであります。つぶやき、不平不満を言う人は、自分が耐え忍んでいると思っているでしょう。しかし、『神が耐え忍』んでおられるのであります。

▼19節は省略します。都合が悪いからではなく、こういう箇所をあげて聖書そのものを批判する人に、ここで、つまり、教会の礼拝の場で弁明する必要はないし、時間がもったいないからであります。
 しかし、この箇所、この表現も含めて、これは、パウロが語る神の救済史であります。

▼20節も時間の関係で省略致します。兎に角、長い時間、神さまは、イスラエルを見守り続けられたのであります。

▼21節。
 『後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、
キシュの子サウルをお与えになり』
 あっさりと記されていますが、『人々が王を求めたので』、つまり、露骨に言えば、神さまの本意ではなかったけれどもということであります。神さまがその本意ではないことを認められる、何とも不可解なことであります。
 しかし、これは聖書の記述、つまりサムエル記に合致します。サムエル記には、間違いなく、預言者サムエルが、王を求めることがどんな災厄をもたらすかを民衆に時ながらも、その民衆の意に沿って王サウルを立てたことが記されています。
 神さまは、『四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び』また、カナンの地で、『彼らの行いを耐え忍』んでおられるのであります。
 もしかすると、今も、この玉川の地で、『彼らの行いを耐え忍』んでおられるのであります。
 直接的には、意に沿わないことをしかし容認し、王を選び与えたのは預言者サムエルであります。預言者サムエルもまた、『彼らの行いを耐え忍』んでいたのであります。

▼22~23節は、省略致します。
 重要ではないからではありませんが、これは、イスラエルの歴史を通じてイスラエルの歴史の中で、神さまはその救済の業をなされたと総括することが出来ましょう。

▼24節。
 『ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に
悔い改めの洗礼を宣べ伝えました』
 短い時間の中でイスラエルの歴史全体を扱い、神の救済史を述べるこの時に、バプテスマのヨハネに言及されていること自体が、重要であります。
 バプテスマのヨハネは、それ程の存在なのであります。そして、ヨハネが『悔い改めの洗礼を宣べ伝え』たことが重要なのであります。『悔い改め』が重要なのであります。
 『悔い改め』のない信仰はありません。『悔い改め』のない教会は、教会ではありません。
 これは具体的なことでもあります。『悔い改め』のない礼拝は、礼拝ではありません。『悔い改め』のない祈りは、祈りではありません。
 祈りは祈願であり、取りなしであります。しかし、それ以前に、『悔い改め』であります。

▼25節。
 『その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。
  「わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待して
いるような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、
わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない』
 これはバプテスマのヨハネとは何者か、彼、彼の教団と初代教会とはどんな関係にあったのかという点で、なかなか重要な箇所であります。しかし、それは学問上のことでありまして、私たちにとって大事なことは、パウロはかく理解し、かく説明しているという事実であります。

▼ちょっと個人的な解釈をお話ししますと、解釈と言うより連想でしょうか。バプテスマのヨハネとキリスト教の関係は、諸宗教或いは思想哲学、それとイエス様の救いの業との関係に似ているように思います。つまり諸宗教或いは思想哲学、これを簡単に間違いだとか邪教だとかと退けることは出来ません。しかし、それが究極ではキリスト教と同じだとは言えません。
 諸宗教或いは思想哲学では、そしてバプテスマのヨハネでは、救いは完成しません。罪の贖い、救いは、イエス様の十字架を待たなくてはならないのであります。
 また、『悔い改め』を強調致しましたが、『悔い改め』だけでは救いには至りません。罪の贖い、救いは、イエス様の十字架を待たなくてはならないのであります。

▼バプテスマのヨハネからイエスさまへであります。その逆はありません。諸宗教或いは思想哲学を経て、イエスさまに辿り着く人はいます。しかし、その逆はあってはなりません。
 教会は勿論そうでありまして、教会が、そこでの礼拝が、私たちが地上で辿り着く目的地であります。同時に出発点であって、過去の国へと向かうのでありますが、私たちが出て来たところ、この世に向かってはならないのであります。逆戻りしてはないのであります。

▼時間的順番は逆ですが、教会、むしろ牧師の説教と、イエス様の救いの関係にも重なると考えます。
 牧師の説教から、イエス様へと目を向けられ、そして、イエスさまに辿り着くのであります。牧師は説教で、悔い改めを説きます。そして、十字架による贖いで人を救うのはイエス様であります。牧師は、人の罪を贖い、人を救うことは出来ません。

▼今日の日課は、25節までであります。しかし、どうしても、27節までは読んだ方が良いと考えます。少しはみ出します。
 26節。
 『兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて
神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました』
 『兄弟たち、アブラハムの子孫の方々』と、『あなたがたの中にいて神を畏れる人たち』、この二つは、別々の人を指しているのでしょうか。前者はイスラエル人であり、後者は異邦人だけれども、教会に連なっている人たちでしょう。どうもそのようであります。
 しかし、何れにしろ、『神を畏れる人たち』であります。『神を畏れる人たち』でなければなりません。『神を畏れる人たち』に、『救いの言葉は』送られたのであります。
 『神を畏れる』ことなしには、『救いの言葉は』聞くことが出来ません。聞いても、通り過ぎてしまいます。

▼そもそも、礼拝とは、神の前にひれ伏すこと、神を拝むこと、『神を畏れる』ことなのであります。私たちが教会やって来るのは、親しい人と会うためではありません。聖書を開いて勉強するためでもありません。修行でも自己鍛錬でも自己啓発でもありません。まして、自己実現であってはなりません。教会が自己実現の場であるのは、キリスト教でも新興宗教的な、異端の臭いがする教派であります。
 礼拝に出る目的は、神の前にひれ伏すこと、神を拝むこと、『神を畏れる』ためであります。
 そして、そこにこそ、そこにだけ、救いがあります。神の前にひれ伏すこと、神を拝むこと、『神を畏れる』ことを喜ぶ者に、感謝する者に、その人にこそ、その人にだけ救いがあります。

▼27節。
 『エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、
また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、
  イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。』
 『イエスを』キリストと『認め』ない者には、救いがありません。
 『安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解』しない者には、救いがありません。『預言者の言葉を理解』しない者と言うと、何だか理解力の話しのようですが、そういうことではありません。矢張り、『認め』ない者でしょう。
 
▼15節に戻ります。
 『律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、
「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた』
 パウロが語った神の救済史は、イスラエルの歴史を批判的に見ているようですが、究極、『会衆のために励ましのお言葉』として語られたものであります。
 本当の意味での『会衆のために励ましのお言葉』とは、会衆に取って耳障りのよいものとは限りません。楽しい明るい気持ちになって家路につくことが出来るものとは限りません。
 但し、パウロの話しを最後まで聞くなら、そこには、復活が語られています。しかし、そこに行き着く前に、腹を立てて、もう話を聞かない人があります。つまらないからと、もう話を聞かない人があります。

▼最後に、13節。
 『パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州の
ペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。』
 ヨハネとは、ヨハネ・マルコ、後のマルコ福音書の著者であります。
 このことで、マルコはパウロの怒りを買います。こんなこともありました。
 教会の歩みは、人間の歩みであります。雑多で無目的な出来事の集積であります。しかし、そこに、神さまの目が、神さまの光が当てられる時、神の救済の歴史になるのであります。

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