虹の契約に生かされて

2014年11月2日主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)

 神はノアと彼の息子たちに言われた。
 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
 更に神は言われた。
 「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
 神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

創世記 9章8節〜17節

▼例えばNHKの大河ドラマで、戦国時代を舞台にした歴史物語を見ます。その都度、思うことがあります。「こんな時代に生まれて来なくて良かったな」と。人と人とが日常的に殺し合うような、あのような時代では、私などは、とても生き延びていくことは出来ないでしょう。
 今の平和な時代でも、狭心症を抱え、大きいショックには耐えられません。お医者さんからも、極力ストレスを持たないようにと言われております。戦国時代では一年だって生きられないでしょう。

▼しかし、考えてみれば…。
 私の家などには、家系図なんて立派なものはありません。血統書があるのは、我が家では飼い犬だけであります。これはなかなか立派な家系図であります。
 その話をして長くなっても仕方がありませんから、元に戻しますが、家系図なんて結構なものは持っていない私でありますが、私のご先祖さまは、間違いなく、あの時代に生きていました。何をしていたのか、どんな人だったのか全く分かりませんが、兎に角存在したのには違いありません。
 つまり、私のご先祖さまは、戦国時代に耐え、生き延び、そして、何とか子孫を残したのであります。

▼結婚式のスピーチで何度か同じような話しを聞いたことがあります。
 今、結婚した新郎新婦には、何人の父母、祖父母、曾祖父母があるかというような話です。
 何でも、先祖を20代遡れば、その数は100万人になるそうであります。それがおおよそ戦国時代の数でしょうか。私は戦国時代に、100万人のご先祖さまを持っているのであります。
 勿論、今、この時代に生きている者、誰もがであります。
 その数は、時代を遡れば遡る程、人数が天文学的に増えていきます。そして、理屈では、ある時代の全人口を、上回ってしまうのであります。

▼人類皆兄弟、全くその通りなのであります。
 しかし、今日申し上げたいのは、そんな話ではありません。
 申し上げたいのは、私たちのご先祖さまは、戦国時代に耐え、生き延び、そして、何とか子孫を残したということ、もっと言うならば、あの罪の時代、神さまがいないような時代を、耐え、生き延びたということであります。
 罪の時代に生きた罪の人間こそが、私たちのご先祖さまであり、私たちは、確実にその血統なのであります。

▼ノアの時代を、聖書はこう言っています。
 『5:主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計って
いるのを御覧になって、
6:地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
7:主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。
人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。
  わたしはこれらを造ったことを後悔する。」』
 結果的に、罪の人間は、『地上からぬぐい去』られました。つまり、これらの人々は、私たちの直接のご先祖さまではありません。
 しかし、洪水の後で神さまは、また言われます。9章、21節。
 『「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、
  幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。』
 同じことであります。私たちのご先祖さまは、『人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ』このように言われているのであります。
 私たちは、罪から生まれ、罪の中に育ち、罪を犯しつつ生きる存在なのであります。

▼その一方で、6章8節。
 『しかし、ノアは主の好意を得た。』
 神さまに目をかけられ、神さまと共に、神さまの御言葉に従って生きる者が、残されたのであります。私たちの究極のご先祖さまは、ここに行き着くのであります。
 私たちは、ノアの子孫であります。罪の中から、洪水の中から、選び出され、救い出された者の子孫なのであります。
 そして、このことは、何も、ユダヤ人だけに当て嵌まるのではありませんし、クリスチャンだけに当て嵌まることではありません。
 今、存在する全ての人間に該当するのであります。

▼8章20節から読みます。
 『20:ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥
のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
21:主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪
うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いの
だ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、
二度とすまい。
22:地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/
昼も夜も、やむことはない。」』

▼神の赦し、それは、この捧げ物、礼拝を前提としているのであります。
今、存在する全ての人間に該当するのであります。全ての人間が、捧げ物をもって、礼拝することが、神さまによって求められているのであります。

▼さて、長い長い前置きだったかも知れません。
 今日の日課箇所を見ます。
9章8節。
 『8:神はノアと彼の息子たちに言われた。
9:「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。』
 長い長い前置きでお話しした次第で、その人間と、神は契約を結ばれるのであります。
 洪水を潜り抜けて来た人々とであります。ノアの洪水を洗礼と重ねて読む人があります。合理性があると考えます。
 ノアの船に乗り、洪水を生き延びた者が、そして、捧げ物をもって礼拝した者と、神は契約を結ばれるのであります。

▼9:「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
10:あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる
鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、
地のすべての獣と契約を立てる。
 『箱舟から出たすべてのもののみならず』とは、何を指すのか、魚など水に住む者は、洪水に遭わなかった、だから初めから、祝福されているのか、それとも、逆に疎外されているのか、そんな、ためにする議論は無意味であります。 肝心なことは二点。
 『あなたたちと、そして後に続く子孫と』そして『地のすべての獣と』と、『契約を立てる』と書いてあります。
 ペットを愛する皆さんにとっては、ここが肝心であります。『地のすべての獣と』と、『契約を立てる』と書いてあります。

▼『契約を立てる』ということは、両方向性であります。全ての人、全ての生き物の救いの可能性がここにあります。
 この点を強調して、どんなに違いがあろうとも、救われる権利があると主張する人々は、決して間違ってはいません。
 そして、同時に、『契約を立てる』ということは、両方向性でありますから、全ての生き物は、神との契約を守らなければならない、これを知らなければならないのであります。

▼『わたしがあなたたちと契約を立てたならば、
 二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
 洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。』
 この洪水とは、勿論、地球規模のものであります。単なる災害を言うのではありません。

▼『12:更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいる
すべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしは
これである。
13:すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
  これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。』
 虹は、激しい嵐のあとにこそ、浮かび上がります。天と地とをつなぎます。つまり、戦争の後の平和であります。

▼単に戦闘が停止しているというだけでは平和とは言えません。両者の間に、契約が結ばれて、初めて終戦となり平和となります。
 この契約の当事者は、一方が勿論神さまであります。そして、他の一方は、『あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物』であり、その子孫たちであります。
 神さまは、永遠の命を持っていますから、その契約は、『代々とこしえにわたしが立てる契約』と言えます。しかし、一方の『あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物』は、命限りある存在であります。
 本来成り立ち得ない契約であります。 
 それを成り立たせるのが、虹であります。

▼『わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
15:わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉
なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、
肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない』
 虹を保証として、契約書として、『 肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない』という契約が、神さまの思いの中で全うされるのであります。

▼しかし、充分注意下さい。
 『肉なるものをすべて滅ぼすことは』であります。『すべて滅ぼすことは』であります。この後、洪水は全く起こらないとは言っていません。神の裁きが下されることはないとは言っていません。
 裁きは繰り返されるのであります。しかし、神は、必ず、契約に立つ人を、残りの者を立てられるのであります。それが、預言者イザヤの信仰に繋がってまいります。

▼『雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、
  すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める』
 大変人間的な言い方、言葉で言うならば、それでしか言いようがありませんが、神さまは、虹によって、契約を思い出されるのであります。確認されるのであります。

▼本日は、聖徒の日、永眠者記念礼拝として守っています。
 代々の聖徒と共に、礼拝を守り、無信仰を告白する日であります。
 このことと関連して、つい先日、宮城南・相双地区の驚異婦人会連合研修会でお話しさせていただいた話の一部を致します。宮城南・相双地区は、先の東日本大震災で大被害を受け、特に相双では未だに避難生活を強いられている教会員が少なくありません。

▼『ゴルゴダの呪いの教会』という小説があります。
 田舎町の街外れ、先住民の時代から悪霊の住処と見なされていた土地に赴任し、教会の再建を目論む神父は、伝道・牧会の挫折から精神的に異常をきたしました。町人は教会を見捨て、礼拝に出る者は一人もいません。神父はついに、墓を暴き、村人の死骸を掘り出して会衆席に並べます。

▼ちょつと長い引用をします。前後関係の説明は不要と思います。

「多くの人が、ラヴェルは神経衰弱にかかったのだと言うでしょう。原因は孤独と、挫折感と、身体的疲労だと。確かに疲労から始まったことなんでしょうが、とにかく彼は消耗しきっていた。それから、自分を捨てた司教区への苦い思い、(中略)彼は前にも増して神への献身と教会の改善に努めましたが、それはただ彼の孤独と疲労とを深めたに過ぎませんでした。そして、われわれローマカトリック教会の神父たちが〝魂の枯渇〟と呼ぶ状態が訪れたのです。そうした魂に慰めはありません。ですから、祈ることもできないのです。(中略)身も心も疲れ切り、やがて孤独に人格を蝕まれるようになる。そして不快と憂鬱が司祭を襲うのです。こうした状態は〝感覚の闇夜〟と呼ばれています」。

▼教勢という数字の奴隷になることは愚かです。しかし、奴隷になりそうな程に、会衆席にぬいぐるみを置きたい程に、この数字に拘らないでは、工夫も生まれないし、伝道の進展もないでしょう。大事なことは、伝道に当たる牧師を孤独にしないことではないでしょうか。勿論、教会員も。

▼墓を暴き、村人の死骸を掘り出して会衆席に並べるなど、尋常の所行ではありませんが、それ以前に、この神父は、根本的な間違いを犯しています。墓を暴き、村人の死骸を掘り出して会衆席に並べる必要など、全くありません。何故なら、私たちは、「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す」、なのですから。このことは日本基督教団信仰告白に限ったことではないだろうと思います。

▼確かに、礼拝時に周囲を見回せば会衆は少なく、信仰の後継者がいないことが指摘されています。しかし、私たちは孤独ではありません。私たちは、「代々の聖徒と共に、使徒信条を告白」し、礼拝を守り続けているのですから。
 100人の礼拝を誇る人がいます。これを目標とする人がいます。1000人の礼拝を誇る人がいます。これを目標とする人がいます。一方、20人の礼拝を目標とする人がいます。せめて10人と願う人がいます。それぞれ結構なことでしょう。しかし、それは所詮、目の前のことでしかありません。前後左右の話でしかありません。私たちは、何億人もの、それ以上の「代々の聖徒と共に、使徒信条を告白」し、礼拝を守り続けているのです。

▼私たちの玉川教会の歴史は、教会2000年の歴史に比べれば、本の足に足らない歩みかも知れません。しかし、この礼拝にも、心から礼拝を献げ、そして、神の国を信じて、召されて逝った者があります。
 その人数は、ついに、現住陪餐会員の数を超えました。
 正に、私たち玉川教会の本籍地は既にして、神の国にあるのであります。

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