イスラエルの王ダビデ

2014年11月23日主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)

 イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」
 イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
 ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間、エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。

サムエル記下 5章1節〜5節

▼イスラエルの王ダビデの物語であります。たくさんのエピソードが、聖書の中に記されています。話しても話しきれない程の数であり、その一つ一つが重要で、興味深いものであります。
 だからこそ、今日の箇所に限定して読みたいと考えます。

▼1節。
 『イスラエルの全部族は』、『イスラエル』という言葉、単語自体が、聖書の中で多様な意味で用いられます。『イスラエル』という単語の字義とかという難しい話ではありません。文字通り多様なのであります。
 先ず、族長ヤコブにこの名前が与えられました。このことから、ヤコブの一族子孫を『イスラエル』と呼びます。これは、民族そのものの名前でもあります。そこから更に、『イスラエル』民族が住む土地も『イスラエル』となります。
 ここまでは、ごく自然なこと、当たり前かも知れません。

▼ところが、ダビデ、ソロモンの後、『イスラエル』の12部族連合国家は、南北に分裂してしまいます。この際に、北10部族を、『イスラエル』と呼び、南をユダと呼び、更に、その二つを合わせたものを、『イスラエル』と呼びます。大分ややこしくなってまいります。
 二つ併せて『イスラエル』と呼びますが、北10部族の『イスラエル』だけですと、『イスラエル』と呼ぶよりも、その中心部族の名『エフライム』と呼ぶことが普通であります。

▼今日、『イスラエル』という国が2000年ぶりに建てられました。そこに住む人々を『イスラエル』人と呼ぶこともありますが、ユダヤ人と呼ぶ方が普通であります。しかし、ユダヤ人とは、国家『イスラエル』に住む人々だけではなく、世界中に散っているユダヤ人を総称する言葉であります。逆に、世界中に散っているユダヤ人を『イスラエル』人と呼ぶことはありません。

▼これ以上詳しく申し上げても、混乱を招くばかりでありますから、止めにします。
 肝心な、5章1節の、『イスラエルの全部族は』とは、何を意味するでしょうか。先程申しましたように、南北に分裂したのは、ソロモンの後ですから、この時代には当て嵌まらない筈であります。
 しかし内容的には、完全に、南北分裂後の、『イスラエル』に該当します。つまり、北の10部族であります。北の10部族、即ち、『イスラエルの全部族は』、今、南を支配して来たダビデに、北の王位を渡そうとしているのであります。

▼『ヘブロンのダビデのもとに来て』とあります。また5節を見ても、『七年六か月の間ヘブロンでユダを』とあります。サウル王の『イスラエル』は、事実上南北に分裂していました。『ヘブロン』は、南王国ユダの都であります。未だ、エルサレムが作られていない時代の都であります。
 サウル王の死によって、この両極体制は破綻しました。それを決定的にしたのは、北の将軍・軍師アブネルの死であります。簡単に言いますと、サウル王の死後、将軍・軍師アブネルは、ダビデと和平し、むしろ、ダビデを盟主として仰ぐことで、北勢力、サウル王家の存続を図りました。しかし、これを良しとしない、むしろ私怨を持つ、ヨアブによって騙し討ちに遭い殺されてしまいました。ヨアブはダビデの家臣であります。結果的には、ダビデがアブネルを騙し討ちにしたような格好になりました。

▼この辺りは、歴史物語として大変に面白いのでありますが、割愛せざるを得ません。是非、お読み下さいとだけ申し上げます。
 4章には、サウル王の息子、イシュ・ポシェトの最後が描かれています。
 今日の箇所の直前であります。イシュ・ポシェトは昼寝中、レカブとバアナによって暗殺されました。正に寝首をかかれました。そして、首をダビデの元に持参したレカブとバアナは、大いに手柄を立てて、報償を得るつもりだったのでしょうが。ダビデの命で、恩賞どころか、殺されてしまいます。引用します。
 『従者は二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるした。イシュ・ボシェトの首はヘブロンに運ばれ、アブネルの墓に葬られた』
 この理由も記されています。少し長い引用になります。
 『かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。
   04:11まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。」』
 恩賞に与るどころか、処刑され、さらし首にされたのであります。

▼それだけではありません。『サウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した』
 悪い知らせをもたらしたからであります。福音ではなく、その逆を伝えたからであります。日本に置き換えられたら、浅野の家臣が早馬を飛ばして、赤穂に殿様の訃報を伝えたら切腹させられたと言うような話になってしまいます。それは、ちょっと乱暴な解釈でしょうか。
 ダビデの行いは、理不尽にも思われますが、それ程に、王の死は、神によって油注がれた者の死は、大事なのであります。
 このこと自体が極めて教訓的であります。私たちは、福音を伝えるものにならなくてはなりません。
 悪い知らせを伝えて、得意になっていてはなりません。

▼悪い知らせを伝えることは、もし伝えなければならないとしたら、それは苦渋に満ちたことであり、矛盾葛藤なのであります。
 預言者エレミアは、イスラエルへの刑罰を預言させられました。彼は、これに抵抗します。イスラエルの滅びなど語りたくありません。赦しを愛を、平和を伝えたいのであります。
 しかし、神の意志、命令は変わりません。彼は葛藤の中で、イスラエルの滅びを伝えざるを得ません。
 悪い知らせを伝えて、得意になっている人がいたとしたら、それは、悪魔の福音なのであります。

▼さて、時代劇に通じている人ならば、この一連の話に聞き覚えがあろうかと思います。
 『太閤記』であります。当時は羽柴秀吉、彼は、明智光秀の首を刎ねた農民に報償を与えるのではなく、彼を死罪とします。
 主君に謀反した逆心とはいえ、三日天下とはいえ、光秀は一代の英雄であります。農民に首を刎ねられてはならないのであります。逆の図式で言えば、農民に首を刎ねられた者に打たれたのでは、信長の権威そのものが汚れるのであります。
 この物語は、明らかに、聖書の影響だと考えます。この一事を以てして断定するのは乱暴だと思われるでしょうが、他にも、いろいろと証拠があります。
 まあ、その信憑性はどうでも良いことであります。何しろ、聖書の歴史書、サムエル記や列王記と、戦国時代の歴史とは、極めて類似点が多いのであります。読んだなら、誰でも気付かずにはいられない程に、類似点が多いのであります。

▼ユダヤ人のラビで、トケイヤーという人が、日本人、日本の文化・宗教の起源はユダヤにあるというややこしい本を書いています。NHKの大河ドラマ3本の原作者である高橋克彦も、似たような、メソポタミヤに起源があるという伝奇小説を書いています。
 もともと、竹内文書(たけうちもんじょ)というとんでもない本があります。この本で一番有名なのは、キリストの墓が津軽にあるという説であります。
 そんないい加減な話・次元ではなくて、聖書の歴史物、サムエル記列王記と、戦国時代の歴史とは、類似点が多い、これは間違いありません。
 但し、同じことが、源平時代にこそ当て嵌まりますし、項羽と劉邦の話や、三国志についても言えます。
 要するに、人間の罪の歴史、戦争の歴史は、古今東西、似たようなことが繰り返されているのであります。

▼2節。
 『これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした』
 これはサムエル記に記されている事実であります。サウル王の元で、大いに働き、成果を上げたからこそ、ダビデはサウル王に警戒され、むしろ憎まれたのであります。

▼2節。
 【主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」】
 これは随分とややこしい言葉であります。
 10部族の長たちに、神さまの啓示があったというのなら、むしろ、合点が行きます。しかし、そんなことはどこにも記されていません。彼らは、この言葉を、何を根拠にして言うのでしょうか。誰から聞いたのでしょうか。どこにも記されていません。
 とすれば、彼らは、ダビデとサウル王の確執を見ていて、このように判断したということであります。
 そして、明確に結論を出したのは、サウル王の死後、むしろ将軍であり軍師であったアブネルの死後であり、サウル王の息子、イシュ・ポシェトの最後を見てからであります。
 つまり、彼らの言葉は本当であり、且つ、同時に嘘なのであります。

▼天下の帰趨が見えてから、後付けで言っているのに過ぎません。こういうことも、戦乱の世では常のことであります。
 3節。
 『イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た』
 全員というのは、原則的に胡散臭いと思います。相談した、示し合わせたということであります。言い換えれば、一人ひとりの本心は、別にあるかも知れないということであります。
 だからこそ、
 『ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ』
 契約が必要になります。契約の背景には所詮不信があると言ったら、それはあまり聖書的ではないでしょう。聖書の宗教は契約の宗教であります。
 しかし、人間的にみれば、契約の背景には所詮不信があります。それに間違いありません。だからこそ、『主の御前に彼らと契約を結んだ』、『主の御前に』なのであります。
 約束は破られるためにあると言う人がいます。それが現実でありましょう。しかし、『主の御前に』結んだ契約は、破られるためにあるのではありません。

▼聖書日課に限定して、脱線しないように読んでまいりましたが、ここは引用した方が良いと思います。
 サムエル記上28章6節以下であります。
 『サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、
  預言者によってもお答えにならなかった。
  28:07サウルは家臣に命令した。「口寄せのできる女を探してくれ。その女のところに行って尋ねよう。」家臣は答えた。「エン・ドルに口寄せのできる女がいます。」
  28:08サウルは変装し、衣を替え、夜、二人の兵を連れて女のもとに現れた。』
  神の命に背いたために、『託宣を求め』ても得られなくなったサウルは、それを、かつて主の命によって滅ぼしたはずの『口寄せのできる女』に頼ったのであります。
 このことによってこそ、サウルは最終的に決定的に神に背き、そして、廃位されたのであります。
 神との契約違反の故であります。

▼3節。
 『長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした』
 『油を注ぎ』、これが契約であります。神と王ダビデとの契約であり、神と民との契約であり、王ダビデと民との契約であります。
 先週礼拝後、中野教会に於いて、島田勝彦牧師の就任式が執り行われました。牧師の就任式に出るのは久しぶりで、当事者でもないのに、緊張しました。
 式文の内容は、神と会衆との前で、牧師として努めるという誓約であり、また、神と会衆との前で、牧師を支えるという誓約であります。 
 中野教会では、教団の標準的式文を、「会衆」と言わずに、中野教会員と言い換えていました。

▼4節。
 『ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった』
 読み込み過ぎかも知れませんが、『三十歳』前後で牧師になる人が多いと思います。『四十年間』働いて、70歳過ぎで隠退する人が多いようです。
 私は、29歳11ヶ月で伝道師となりました。後5年で70歳になります。何とかそれまでは、健康で働き続けたいと願っていますが、御心ですから、分かりません。
 ついでに言いますと、過去、玉川教会の牧師として、在位期間が一番長いのが、島田勝彦先生です。14年。私は、今その14年目で、来年3月を努めれば、島田先生と並びます。4月以降は記録更新です。
 それが良いことか、そうではないか、御心ですから、分かりません。

▼5節。
 『七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した』
 1行で記されていますが、その中味は、波瀾万丈であります。サムエル記下の全内容であります。

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