生きておられる方を死者の中に捜すのか

2015年4月5日復活節第一主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)

 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

ルカによる福音書24章1節〜12節

▼イエスさまの復活を記す物語の内、4つの福音書全部に描かれている記事は、今日の箇所だけであります。マルコによる福音書ですと、16章の所謂「虚ろな墓」と、他はその平行記事であります。
 ルカによる福音書には、この直後に「エマオ途上の顕現」と呼ばれ親しまれる顕現物語があります。私たちはどうも、このような物語性の強い復活記事に注目してしまいますが、4福音書に共通する「虚ろな墓」の記事こそ、最も重要なのではないでしょうか。私たちの知識・理性では捕らえ難いものである復活の事実について考える時に、最も重要な手掛りなのではないでしょうか。

▼では、ここに何が書かれてあるのでしょうか。何も書かれていません。唯一、何も無かったと記されているばかりであります。
しかし、この何も無いということが、最重要なことと思います。穿ったことを申し上げようというのではありません。文字通りに受け止めて頂きたいと思います。もう一度申し上げます。何も書いていないということ、何もないということ、これが最重要のことと思います。

▼その辺りから、お話します。復活のキリストと言いますけれども、そもキリストとは何者なのでしょうか。それを説明することは、厳密に言うならば、旧約聖書の預言書全巻について解説することにつながります。
 しかし、当時の一般民衆の間では、強い王への期待が、その内容だったと言わなくてはなりません。
 預言者によって積み重ねられた深い哲学、ないしは掘り下げられた神学は忘れ去られ、預言者の時代よりも遥かに後退していました。預言者以前の、単なる世俗の王が期待されていました。

▼乱暴な言い方になるかも知れませんが、簡単にまとめると、神への信仰よりも、この世の知恵に長け、富と、強大な軍事力を獲得している、それがメシア・キリストの条件です。
 歴史を通じてイスラエルを苦しめて来た周辺諸国を打ち破り、理想的な政治を実現する、そういう言い方も出来ますでしょう。そのような理想的な王、偉大な英雄が、即ちキリストでありました。
そして弟子たちは、当然、このような世俗的な願望を、ナザレのイエスに寄せていたと考えられます。

▼福音書の中で群衆という字で表現されている人々は、今日の一般大衆を言うのではなくて、むしろ、難民に近い様相をしていたと考えられます。彼らにとって切実な願いは、とにかくにパンを得ることだったでありしょう。
 つまり、キリストとは彼らにとって、他の何者でもない、パンを与えてくれる者の意味でありました。パンをもたらすためには、富か、それとも軍事力が必要ですから、結果的に、彼らは、ダビデのような戦の上手な王を、ソロモンのような経済力を持った王を求めることとなります。

▼イエスさまが、5000人の人々への給食という奇蹟を起こされた時、彼らの希望は、最大の目盛りまで膨らんだことでしょう。しかし、各福音書が一様に描くように、この奇蹟は、誤解を育てる結果となり、3度目のパンが与えられなかった時に、人々はイエスに見切りをつけて去って行くことになります。

▼出世の願望を強く持ち、その期待をイエスに託していた人がいました。イエスさまに最も愛されたと言われるヨハネとヤコブのゼベダイの子らがそうであります。
 未だ野にある新しい王に、いち早く付き従い、出世の後に高く取り立てて貰うのは、出世の道の常套手段であります。ヘロデ・アグリッパなどは、その典型と言える人物であります。
 アグリッパはローマに滞在中にカリグラ帝の知遇を得ました。紀元37年に、カリグラ帝によって伯父のフィリポスが治めていたトランスヨルダンの統治を任され、さらに39年には追放されたヘロデ・アンティパスの後をうけてガリラヤの統治権を得ました。
 そして41年にはユダヤ・サマリア・イドマヤの支配を任されることになり、祖父ヘロデ大王が治めたのと同じ版図を統治することになりました。
 ヘロデ大王の孫とは言え、没落し、1回の浪人に過ぎなかった者が、不良仲間のカリグラとの出会いによって、王の地位に上り詰めたのであります。
 アグリッパⅠ世はファリサイ派に迎合して当時はまだユダヤ教の一分派と見られていた初期キリスト教を迫害し、ゼベダイの子ヤコブを捕らえ殺害、ペトロを投獄しています。

▼福音書は、こうした歴史を背景にして、十字架と復活の出来事を描いているのであります。

▼出世欲を持った兄弟が、新しい国での大臣の椅子を求めた話は、共観福音書に共通しておりますし、『偉くなりたいと思う者は、人に仕える者とならなくてはならない』という、結論部分は、4つの福音書に共通しております。ここでも、人々がイエスさまに寄せた期待は、失望に終わっております。

▼ゼベダイの子らに比較した場合、民族の誇りに生きようとしたイスカリオテのユダの方に、私たちは共感を持つことが出来るかも知れません。イスカリオテという彼の名は、「劍を飲む者」つまり、懐に劔を隠し持つ者、即ち暗殺者の意味だと言われております。今日の愛国的テロリストに相当しますでしょうか。彼は、イエスさまに、祖国の解放者としての期待を寄せた訳であります。
 しかし、イエスさまは例えば、『カイザルの物はカイザルに』のエピソードに現れますように、ローマないしは諸外国勢力と或は王位の簒奪者であるヘロデ家と武力で戦おうとしませんでした。
 これが、イスカリオテのユダを失望させたのではないか、彼の裏切りの原因となったのではないかというのが、有力な説としてあります。
勿論、イスカリオテのユダの方は、自分こそが裏切られた、期待を裏切られたと思っていた訳であります。

▼イエスさまへの愛に生きたペトロも忘れてはなりません。私たちは、福音書の数々のエピソードによって、ペトロがどんなに強くイエスさまを愛していたかを知っています。しかし、この感情は空回りに終わることが多かったことも確かであります。特に、最後の1週間に描かれた出来事、3度の否みの予告、ゲッセマネの祈りの間の惰眠、捕縛。
こうして見ますと、決して偶然ではありません。福音書は、人間がキリストに託した願望、或は欲望が、空望みに終わり、全く失望して行く様を、これでもかという程に、念入りに描き出すのであります。
そして、その究極にあるのか、「虚ろな墓」なのであります。

▼人間の期待の何もかもが、砕け散り、虚ろになったことを、虚ろな墓が象徴しているのであります。
 しかし、ここでどんでん返しが起こります。墓は虚ろだった。だが、虚ろになったのは、イエスさまの生涯ではなく、その死が虚ろになった、この墓は、それを強調しているのであります。
 虚ろになった墓に残るものがありました。それは約束と信仰であります。
全ての期待が空しいものとなった時に、換言すれば、人間の希望・願望・欲望、それを何と呼ぼうとも、人間の内側にあるものが全て潰え去ったときに、神の約束と、信仰が残ったということが、大事なことであります。
 そのことが、今日の記事の意味であります。

▼また、ここで思い起こしていただきたいことは、預言者、特に第2イザヤの辿り着いた結論と、今日の記事は、全く重なるということであります。
 つまり、民衆が待ち望んだキリスト待望が、全く打ち壊された時、そこに、第2イザヤの本当のキリスト預言が現れたということであります。
今日第2イザヤについて、詳細にお話しすることは出来ませんが、苦難の下僕の歌、イザヤ53章、これには、触れないではいられません。これは、正に、十字架に付けられた者の姿、もしかすると、埋葬され肉も崩れた者の姿を描いているのではないでしょうか。

▼イザヤ53章
 1:わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
2:乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
  この人は主の前に育った。
  見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
3:彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
  多くの痛みを負い、病を知っている。
  彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
4:彼が担ったのはわたしたちの病
  彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
  わたしたちは思っていた 
  神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
5:彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 
  彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
  彼の受けた懲らしめによって 
  わたしたちに平和が与えられ
  彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

▼私たちの信仰は、正にここの所に立っているのではないでしょうか。
 私たち人間は滅びに定められた存在であります。どんなに必死に抵抗しようとも、病を、老いを、死を免れることは出来ません。
 必ずいつかは、死という罠に捕まえられてしまうのであります。
 しかし、何もかもが失われた時に、何が残るのか、残るものがあるのか、そこが勝負どころであります。うつろな墓に何が残るのか。
 信仰が残るのかであります。

▼イエスさまは、神の子でありながら、私たちの住む地上に、マリアという一人の平凡な女から、人間の子として誕生しました。人間と同じものになって、人間の苦しみ・悩みを救うためであります。ところで、人間の苦しみ・悩みの根源は、死・滅びにあります。ですから、本当に人間の姿になられるとは、人間と同様に死ぬ者となることであります。
言い換えれば、イエスさまは、十字架の上で、本当に人間の姿になられたのであり、また、十字架とは、真実の王・キリストが座るべき玉座=王様の椅子なのであります。

▼イエスさまを葬る準備のための、香料は無駄になりました。墓が、空だったからであります。
 それだけではありません。香料は、死体を清めるために用いられますが、もう一つの用途、より大事な用途は、王や祭司が即位する時に、頭に塗ることにあります。それが一番肝心な、香料の意味であります。
 既にイエスさまは、十字架に着くことによって、玉座に着かれ、王としての即位を終えていました。だから、香料は無駄になりました。
 逆に言えば、香料が無駄になったということを、王として即位したことの証拠に上げているのであります。
 そういう大胆な信仰であります。

▼マルコによる福音書15章30節に、このようにあります。
 『ああ、神殿を打ち壊して3日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え』。
更に、31~32節では、
 『他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、今十字架からおりてみるがよい。それを見たら、信じよう』。
他の福音書にも同様のことが記されていますが、一番明確なマルコによる福音書を引用しました。
王キリストの玉座は、十字架であって、もし、この十字架から降りてしまったら、キリストはキリストでなくなってしまうのであります。

▼さて、葬りの用意をしていたことから見ても、女たちは、イエスさまの死を、どんなに辛くても避けられない現実として受け止めていたことが分かります。しかし、この女たちに、全く思いがけないことが、告げ知らされました。イエスさまはよみがえられたというのであります。
 驚くべき知らせであります。
 簡単に信じられるようなことではありません。しかし、事実ならば、なんと喜ばしい知らせでありましょう。
喜ばしい知らせ、つまり、福音とは、元来、王子の誕生または戦争に勝利したことを、国民に知らせるものでありました。
死と滅びの象徴である墓が、喜ばしい知らせ・福音が、伝えられる場所となったのであります。

▼この福音は、絶望し閉じこもっていた使徒たちにも、伝えられました。しかし、彼らは、容易に信じようとしません。それ程、彼らの絶望は深かったのであります。この時、彼ら自身が、滅びの中に、墓の中にいたのであります。

▼アブラハムは、神様から、イスラエルの土地をその子孫に与えると約束されました。しかし、彼が実際に、この地上に得たのは、妻を葬るための僅かな土地に過ぎませんでした。しかし、この土地は、墓は、この夫妻によって生まれる民族の、未来を象徴するものとなりました。母の死が、民族の誕生の印となったのであります。
同じ図式が、ヤコブ・ヨセフの場合にも繰り返されます。時間の関係で詳細は、省略致します。そして、モーセの場合にも。
 不思議に、イスラエルの歴史は墓から始まり、普通は滅びの印である墓が、希望の印に、変えられるのであります。ヨハネ福音書の一粒の麦もし死なずばの教えもあります。
今日の聖書の箇所も同様であります。教会は、墓から、始まったとさえ言えます。そうして見ますと、初代教会の礼拝が、カタコンベ、つまりローマの墓所で守られたことも偶然ではないように見えてまいります。

▼話を元に戻します。この後、イエスさまは、使徒たちにも、その復活の姿を現され、使徒たちの信仰は回復しました。むしろ、初めて、本当の信仰が与えられたのであります。十字架の死は滅びではなく、死に対する勝利である、イエスさまは復活された、という信仰であります。墓という人生の終わりが、新しいもの、イエスさまの体なる教会の始まりになったのであります。
イースターに墓前礼拝を持つ教会があります。積極的な意味があるように思います。私たちは、墓前で礼拝を持つことで、信仰を抱いて生きる者にとって、死が全き滅びではないこと、信仰を抱いて生きる者には、墓もまた、希望の始まる所だということを確かめるのであります。

▼更に、この墓前での礼拝は、既にイエスさまのもとに召された者と、残された者とが共に守る礼拝であります。仏教や日本の諸宗教では、故人の霊前にご飯を上げることをします。死者崇拝だと言えば、そうも取れますが、迷信とは言え、死んでも食べ物に不自由しないようにという素朴な感情に基づくものだと思います。私たちは、神の御言葉という霊の糧を、既に召された方々と共にいただくのであります。それが、墓前での礼拝であり、記念会であります。

▼そして、この時に、私は、常に連想するものがあります。それは、聖餐式の都度告白する使徒信条であります。私たちの教会では、洗礼式の時くらいで、めったに、日本基督教団信仰告白を唱和することをしませんが、この日本基督教団信仰告白の最後の一文は、こうであります。「我らは、世々の聖徒と共に使徒信条を告白す。」。旧日本基督教会の場合も全く同様であります。
我々の信仰、我々の福音は、我々の発明品ではありません。世々の聖徒によって伝えられたものであり、世々の聖徒と共に、告白すべきものなのであります。

▼さて、最後に、では毎回、墓前で礼拝した方が良いのではないか。本当にそう考える教会もあります。だからという訳ではないかも知れませんが、教会の中に墓所を持つ教会は少なくありません。
しかし、私たちは、世々の聖徒と共に信仰告白をし、礼拝するのであって、世々の聖徒を信仰するのではありません。私たちが礼拝すべきお方は、十字架の上に亡くなられましたが、しかし、復活して今も生きておられる方であります。
 正に今日の箇所にありますように、「生きた方を死人の中にたずねる」のは、愚かであります。「生きた方」とは、教会の中で出会うことができるのであります。

この記事のPDFはこちら

主日礼拝説教

前の記事

血潮したたる