生き返った若者
2015年7月5日聖霊降臨節第7主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)
週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。
使徒言行録 20章7節〜12節
▼この箇所で過去2回説教しています。その時に思いました。何でこの箇所なのだろう。特に2回目の時には、腕組みして考え込んでしまいました。1回は、出来事の物珍しさもあって、聞いて貰えるかも知れない。しかし、2回目は、どうだろう。多くの人は、この出来事に何の関心も覚えないのではないだろうかと。
それが、今回は3度目です。
聖書日課を編む人は、一体どんなつもりなのだろうと、思わざるを得ません。
実は、その委員の方々を知っています。どなたも立派な牧師です。しかし、今度あったら、一寸疑問符を付けたい気持ちです。レッド・カードではないにしても、イエロー・カードは付けたい気持ちです。
▼そんなことを考えながら日が過ぎ、繰り返し読む内に、思うことがありました。何事もそうですが、事柄・事件は、先ず何よりも、何時、何処で起こったか、これが大事です。何が起こったかの次に、場合によっては、何が起こったかよりも、何時、何処で起こったか、これが大事です。
新聞や雑誌の見出しを連想してみて下さい。
「殺人事件」そんな見出しはありません。「高校生殺人事件」これならかろうじて見出しになりますでしょう。しかし、それよりも、『学校の殺人』、『白昼の殺人』この方が、見出しになります。この二つは実際に小説の題名として存在します。
つい先日の事件は、『新幹線車中の焼身自殺』、もっと短く『新幹線車中で!』これで充分です。
▼今日の箇所、事件でしょうか、事故と呼ぶべきでしょうか。
それは、礼拝の最中に起きました。今で言えば教会の中で、起こりました。
このことは、他のどんなことよりも大事ではないでしょうか。
何があったか、その詳細は、背景は、と言うよりも、礼拝の最中に起きたこと、教会の中で起きたこと、これが決定的に重要なことです。
▼思い出しても辛い話ですが、もう20年にもなります。かつて親しくしていた青年が、突然亡くなりました。私が最初の任地に赴任した時に、小学6年生生だった彼が、妹と二人ついて来た程の親しさでした。
その兄の方が、20代半ばの若さだったのですが、突然亡くなりました。こういう時には、急性心不全ということになりますが、突然死です。それが、クリスマス・イブの晩だったのです。イブ礼拝、キャロリングに出た後、小さい公園のブランコに乗ったまま、こときれていたそうです。
その時点では疎遠になっていましたので、その自分の彼の生活、仕事、詳しいことは何も知りません。
しかし、家族にとって、熱心で敬虔なクリスチャンの両親にとって、どんなに辛い出来事だったか。想像を超えるものがあります。
▼私がそのことを知ったのは、何年も経ってからです。その事が起こった時には、何時ものクリスマス・カードも受け取っていた筈です。彼の父親は、クリスマス・カード作りの名人でした。私のカード作りの先生です。
それ以来、クリスマス・カードも途絶えました。しかし、疎遠になっていた私は、その事実にさえ気が付きませんでした。
知ったのは2年も後のことです。
▼その母親が、今年、不意に訪ねて来て、玉川教会の礼拝に出席しました。何でも自分が不治の病だそうで、今の内に会っておきたい人を訪ねているのだということでした。礼拝後の僅かな時間お話ししただけで帰りました。
多分、自分が会いたい人と言うよりも、亡くなった息子を知っている人、本当に親しくした人という意味合いでしょう。
彼が、キリスト教出版の会社に勤めていたということは、この母親と話したよりも、もっと後で偶然知りました。
▼礼拝の最中に、教会の中で、一人の若者が転落死しました。転落死は兎も角、礼拝中に亡くなることはあり得ないことではありません。そんな時に、教会員は、これをどう受け止めるでしょうか。遺族はどうでしょうか。躓きにならないでしょうか。
畳の上で死ねたらと昔は言ったものです。それが穏やかな尋常な死に方、真面目に正直に人生を送れば、そういう死を迎えることが出来ると考えられていました。
逆に侍は、戦場(いくさば)での死こそが、本望です。それ以外の所では死にたくないとさえ考えました。
▼私の郷里の秋田、特に雪深い横手の街では、春に人が亡くなると、それだけで功徳だと言われます。雪国での冬の葬儀は大変ですから、雪が融けるのを待って亡くなるのは、功徳だと言うのです。何時何処では、時として如何によりも大事なこととなります。
▼さて、なかなか肝心な聖書に入りませんが、もう少し、これは助走のようなものですので、おつきあい下さい。
アンデルセンに、『幸福のペール』という短い話があります。翻訳によっては、『幸運のペール』となっています。
紹介したいことは、一つだけです。演劇を志したペールが、やっとその思いを果たした主役舞台の幕が下りた瞬間に、息絶えたという話です。
アンデルセンは、これを至上の幸福と考え、描いているのです。このような考え方は、アンデルセンの作品に頻出します。
舞台の上で、絶頂の時に死を迎える、そうかも知れません。しかし、折角それだけのことを体験したのなら、余韻を楽しみたい気もします。それこそ、一生掛けて、じっくりと。
▼7節。
『週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、
パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、
その話は夜中まで続いた。』
何時から始めたかは記されていませんが、まあ、休まず続いたのですから、夕食後でしょうか。『夜中』が何時かも記されていません。結局、パウロの説教は何時間ものだったのかは分かりません。
しかし、途轍もなく長かったようです。
▼戦後のキリスト教ブームと言われた時代の説教は長かったと聞きます。1時間2時間は普通だったようです。今日で言えば、講演の時間です。だんだん短くなって、今は30分は長い方、何ですか15分がいい加減だと言う人が多いようです。
教会に勢いがあった頃は説教が長く、勢いがない今は短い、これは何かを暗示しているのでしょうか。それとも、あまりに長い説教をしたから、人々が教会を離れたのでしょうか。多分。それはないでしょう。
▼9節。
『エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、
パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、
眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。』
『窓に腰を掛けていた』のは、満席で普通の場所には余地がなかったからでしょう。行儀が悪いという話ではありません。
『パウロの話が長々と続いた』
先程申しましたように、2時間でしょうか、3時間でしょうか。この時代には、語る者も、聞く者も、とにかく一所懸命だったようです。
▼『ひどく眠気を催し』どんなに熱心でも、眠気は別のようです。そうだろうと思います。ゲッセマネの園で眠り込んでしまった弟子たちを、連想させられます。
『眠りこけて三階から下に落ちてしまった』
3階の席にいたということです。どういう作りの建物かは分かりません。とにかく、人がひしめいていました。今日の中国では、同様の光景があると聞きます。見てみたいように思います。
東北の小さな教会、今は礼拝出席一桁というような、建物も小さい教会でも、かつては100人もの人が集まっていました。
居心地が良いはずがありません。何もかも不自由だったと思います。しかし、そこには信仰が、信仰の熱心がありました。
ここにこそ、私たちが学ぶべきことが記されていると考えます。
▼『起こしてみると、もう死んでいた』
大変なことになりました。
今日だったら、AED「自動体外式除細動器」の出番でしょうか。
最初に申しましたように、3階から堕ちる人はないでしょうが。突然の事故死、病死は、充分あり得ることです。私たちの教会の玄関は、かなり危険だと思います。
教会で、礼拝の時に、ことが起こったら、周囲は、特に家族は、それをどう受け止めるか、躓きにならないかという話です。
▼10節。
『パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。
「騒ぐな。まだ生きている。』
9節には、『起こしてみると、もう死んでいた』と記されています。本当はどっちなのでしょう。というような話ではありません。『もう死んでいた』のは事実です。しかし、それを承知でパウロは『騒ぐな。まだ生きている』と言いました。
これは、イエスさまが会堂司の娘を生き返らせた話に通じます。
マルコ福音書5章です。長いので、省略して読みます。
『35~36節。イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
36:イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。
39~40節。家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40:人々はイエスをあざ笑った。
41~42節。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。
42:少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。』
▼単にストーリーが似通っているという話ではありません。一番肝心なメッセージが重なっています。
『騒ぐな。まだ生きている。』
『恐れることはない。ただ信じなさい。』
『なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。』
重なるメッセージは、『騒ぐな。恐れることはない。なぜ、泣き騒ぐのか。』です。
そして、当然、このことこそが、今日の聖書箇所の主題なのです。
▼『騒ぐな。恐れることはない。なぜ、泣き騒ぐのか。』
何時でも、何処でも、何が起こってもです。
優しい言葉に言い換えれば、『騒ぐ必要はない。恐れることではない。泣き騒ぐ必要はない。 … 安心していなさい』となります。
これがメッセージです。
▼11節。
『そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、
夜明けまで長い間話し続けてから出発した。』
まるで何事もなかったかのような、パウロの振る舞いです。
『パンを裂いて食べ』とは、一休みしてという意味ではありません。
パン裂き、即ち、聖餐式であり、礼拝です。
つまり、何が起こっても礼拝が続けられたということです。
今、この瞬間に地震が起こったら、礼拝中断は余儀なくされますし、誰かが急病になったら、相応の対応が必要です。それをしないで、礼拝を守り続けなさいということではありません。
▼しかし、例え中断されたとしても、礼拝は守り続けられます。何事もなかったかのようにではないでしょうが、礼拝は守り続けられます。礼拝を守り続けることにしか、救いはありません。
▼12節も読みましょう。
『人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。』
『生き返った』とはっきり記されています。仮死状態だったとかという話ではありません。
ですから、当然、人々は驚き感謝し、そして慰められたでしょう。
しかし、これは一人、『エウティコという青年』の身の上に起こった奇蹟ではありません。
礼拝に集う者全てに語られているメッセージです。
▼或る牧師が、この人は良識も分別もある牧師ですが、私の所に抗議に来ました。教会暦に『永眠者記念礼拝』とあるのはおかしい、何とかしろと言うのです。彼は、『永眠』がそもそも間違っていると主張するのです。
私が決めたのではありませんし、変える権限はありません。ですから、『信徒の友』の日課も、聖書日課も、手帳も、変えることは出来ません。
抗議されても困るのですが、彼の言い分は解らないではありません。
『永眠』という表現で、死という現実を覆い隠してしまったなら、復活も覆い隠されてしまうでしょう。
『永眠』という言葉で、死を美化してしまったなら、最早復活信仰は必要ないかも知れません。
▼しかし、『永眠』という言葉は、死を覆い隠しごまかすためのものではありません。むしろ、明確な復活信仰に立った表現ですし、そうでなければなりません。
今日の出来事は不可解な要素が強く、何故、この出来事が記されているのかと戸惑う気持ちが残ります。
教会の中でも、礼拝の中でも、信仰深い人の身の上にも、納得のいかないような出来事が起こる、不幸も免れ得ない、しかし、そこには、依然として復活信仰の希望が残る、だから、何時でも、何処でも、何が起こっても『騒ぐな。恐れることはない。なぜ、泣き騒ぐのか。』
このメッセージが語られているのではないでしょうか。