ろばの子に乗って

2016年3月20日受難週・棕梠の主日礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)

 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。
「ホサナ。
 主の名によって来られる方に、祝福があるように、
 イスラエルの王に。」
イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。
「シオンの娘よ、恐れるな。
 見よ、お前の王がおいでになる、
 ろばの子に乗って。」
弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。

ヨハネによる福音書 12章12〜16節

▼先ずロバの話からしましょう。
 ロバは旧約聖書の世界では、神聖な動物です。ロバは食肉にされることはありませんし、祭儀の犠牲(生贄)に用いられることもありません。命を守られています。それどころか、安息日の恩恵に与かり、虐待を禁じられています。何と週1回お休みがあるのです。羨ましい人もいるでしょう。
 何より、以上のことが、わざわざ律法に記されているという、そのことだけでも、特別な家畜であることがお解りいただけるかと思います。

▼列王紀上1章の33節以下に、ラバが登場します。これは実際には、ロバと見てよろしいと考えます。
 ここでラバは、王に即位するソロモンを乗せる役割を演じています。今日の箇所と重ねる時に、興味深いことです。王位を簒奪しようとするアドニヤとの対立というところにも、イエスさまのエルサレム入城、つまり今日の場面との類似性が見られます。
 『祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、「ソロモン王、万歳」と叫んだ。40民は皆、彼の後に従って上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた。…列王紀上1章39・40節』
 このという表現は、とても偶然の一致ではありません。

▼この場面を描く4福音書が、この類似性をはっきりと意識しているとすれば、二つの物語の背景にある事柄、主題も一致していると見るほうが自然でしょう。
王位とは武力によって奪い取るものではなく、民衆の支持がなくては王にはなれない、何よりもそこに神さまの御旨が働かなくてはならないということが、列王記の主題として、説かれているのです。

▼もう一箇所旧約聖書を参照致します。ゼカリヤ書9章9節がそうです。
 『09娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
  見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者高ぶることなく、
  ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。
  10わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。
  戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられる』
 ここでも、王として即位する者が、つまり勝利者が、ロバに乗って登場し、しかも、勝利者の手によって、武力が放棄されることが明言されています。
 ここでも、ろばは、神への信頼・服従、そして、反対方向から見れば、民衆への労り、併せれば、謙遜の徴です。

▼ルカ福音書では、2章8~20節、あの羊飼いたちに天使が現れ、キリストの誕生を知らせます。この物語でも、強調点は今まで引用したものと共通しています。つまり、王は神の御旨によって選ばれ、民衆のためにこそ与えられ、その支持を受けます。彼は武力を持たない平和の王である、これが強調点です。
 特に、14節には「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上ではみ心にかなう人々に平和があるように」と、天の軍勢が歌う讚美歌が記されています。
 これだけの根拠で充分でしょう。ルカ福音書は、クリスマスの出来事と、イエスさまのエルサレム入場とを完全に重ね合わせて描いています。クリスマスは、王の誕生であり、エルサレム入城は王の即位です。その両方で、「王は神の御旨によって選ばれ、民衆のためにこそ与えられ、その支持を受ける。彼は武力を持たない、平和の王である」このことが強調されているのです。

▼クリスマスにしばしばお話ししています。御子の誕生の場面が馬小屋であることも偶然ではありません。より厳密に言えば、馬小屋ではなく驢馬小屋であり、馬の飼い葉桶ではなく、驢馬の飼い葉桶でしょう。飼い葉桶という字は、馬を特定しないそうです。驢馬の飼い葉桶かも知れません。

▼13節。
 『なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に』。
 ローマの将軍たちは、馬や戦車に乗り、お金や花びらを撒き散らかしながら、凱旋門を潜ります。貧しい人々は狂喜してそれを迎えるのですが、捕虜として連行される諸外国の貧しい民の姿が、明日の自分の姿だということに気が付きません。
ややもすれば、将軍たちが凱旋してくるその沿道には、お尻の穴から口に抜けて串刺しにされるという、想像するのもおぞましい姿で十字架に付けられた人々の死体が、何キロも並んだと言われます。
 かつてのアッシリアなども同様でした。

▼イエスさまの即位は、ローマの将軍たちのような王の即位・入城とは全く異質なものです。平和と無力の象徴であるロバに乗り、軍勢を従えることもなく、だからこそ、逆に民衆の犠牲を要求することはありませんし、民衆の血を流すのではなく、自分自身の血を流すのです。
あらゆる機会に繰り返し申し上げますが、十字架の傍らでイエスさまを嘲笑するものが言います。「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救いなさい。」マルコ・ルカ福音書ではこうです。他の福音書でも根本に違いはありません。我々の信じ頼みとするキリストは、正に、この者が言うとおりの方です。
簡単に言えば、王としてのイエスさまは、地上のもろもろの王たちと何もかもが正反対だとさえ言えます。

▼さて、ヨハネ福音書の話ではなく、ルカ福音書を初め、他の聖書に傾きがちです。こういう話に終始するなら、ヨハネ福音書を読むのではなく、マルコかルカ福音書、或いはゼカリヤ書を読んだ方がよろしいでしょう。
 しかし、今、お話ししたことは、ヨハネ福音書にも全く当て嵌まるということを申し上げたいと思います。
 そして、更に、このことは、ヨハネ福音書でこそ徹底されます。
 それが、新共同訳聖書で言えば、今日の箇所の真下、20節以下です。
 『一粒の麦もし死なずば』の箇所です。
 
▼12章23~25節を読みます。
 『23:イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
 24:はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
 25:自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、
それを保って永遠の命に至る』
 民衆を犠牲にして王に君臨するのではなく、真逆、民衆のために、命を犠牲にされる姿が、ここに描かれています。

▼12~15節については、マルコ・ルカ福音書やゼカリヤ書を助けにしてお話ししました。
 しかし、12節については、少し補足が必要です。
 『その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き』
 大事なのは、『その翌日』という表現です。時間、順番に拘るのはヨハネ福音書の特徴ですが、ここでは特に重要です。
 『その翌日』とは、9節以下の出来事の翌日です。
 『イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。
それはイエスだけが目当てではなく、
イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
10:祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
11:多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、
  イエスを信じるようになったからである』

▼『ラザロを … 死者の中からよみがえらせた』イエスさまが、そういう力をお持ちのイエスさまが、自らを救おうとはなさらず、十字架への道を歩まれたという点が、強調されています。
 一粒の麦となられたのです。
 『多くのユダヤ人がラザロのことで』、『イエスを信じるようになった』とありますが、それ以上に、十字架によってこそ、多くの人々がイエスさまを信じ、救いの道に入れられたのです。そうでなくてはなりません。
 実際には、『多くのユダヤ人がラザロのことで』、『イエスを信じるようになった』のに、しかし、イエスさまの十字架に躓いてしまう、それが現実かも知れません。

▼13節でも、少し補足が必要かと思います。
 『なつめやしの枝を持って迎えに出た』。
 『なつめやしの枝』と特定されているのは、ヨハネ福音書だけです。他は、木の枝だったり、上着だったりします。
 『なつめやしの枝』に特別な意味があるのでしょうか。
 細かいことは面倒なので省略しますが … 面倒というのは、話す側ではなくて、聞く人にとってですが … 他の様々な根拠からは、『なつめやしの枝』ではなく、オリーブの枝とされています。棕櫚の主日の式典などでもそうですし、そもそも、オリーブの方が、ノアの箱舟以来、聖書的にも馴染みがあります。ノアの箱船でも、オリーブの枝は、平和の回復の徴として上げられています。
 何故、『なつめやし』なのか、唯一の理由は、これが、当時の貧しい人々の重要な食料だということでしょう。甘い糖分に充ちた食べ物は、当時貴重です。その中で安価で豊富なのが『なつめやし』です。
 まあ、これはあまり熱を込めて話すようなことではないかも知れません。しかし、無作為でもないような気がします。

▼14節も、実は、ヨハネ福音書独特です。と申しましても、独自の描写があるということではありません。逆で、他の福音書では、とかく説明が加えられていますが、ヨハネ福音書には、何も記されていないという点で独特です。
 マルコ福音書ですと、
 11章2~7節がこの描写に充てられます。特に2節、
 『「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、
まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる』
 この『まだだれも乗ったことのない』という形容が、とかくの議論を呼びます。ルカも同様です。
 しかし、ヨハネ福音書では、何も説明されていません。
 『まだだれも乗ったことのない』という表現は、その神聖さを述べているのでしょう。ヨハネ福音書は敢えてそれを退けたのでしょうか。『十字架こそが栄光』と説くのが、ヨハネ福音書の特徴です。それを敢えて避けたのは、棕櫚の主日ではなく、十字架の出来事の場面でこそ、イエスさまの栄光を描くためではないでしょうか。

▼一寸脱線かも知れませんが敢えて申します。
 ヨハネ福音書と他の福音書では、少なからぬ相違があります。しかも、肝心要の十字架と復活の場面で、大きな違いがあります。何度もお話ししていることではあります。
 その一例、ヨハネ福音書では、19章17節。
 『イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、
すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた』
『イエスは自ら十字架を背負い』とあります。
 ところが、他の福音書では、細かい違いはともかく、クレネ人シモンが、主の十字架を背負わされたと記しています。
 本当は一体誰が十字架を背負ったのでしょうか。
 ことが、十字架です。こんな、違いがあって良いのでしょうか。
 聖書の悪口を言う人は、だから聖書には信憑性がないと批判します。
 その批判に対して、時間差での説明がなされます。見ていた時間がずれていたのだということです。最初はヨハネが描いた通り、その後にクレネ人シモンが、主の十字架を背負わされたとすれば、つじつまは合います。

▼しかし、そんな小細工めいた説明は無用でしょう。強調点は、私が背負うべきあの十字架を…ということです。
 ヨハネ福音書では、自ら背負うべき十字架を、イエスさま自らか背負ったと強調しています。当時の決まりでは、囚人が自ら十字架を背負うのは当たり前でした。それを敢えて、イエスさま自らか背負ったと言って、強調しています。そして、マルコ他の福音書は、私たち弟子が担うべき十字架を、無関係な、通りすがりに過ぎないクレネ人シモンが負ったのだと言っているのです。私たちは、逃げ出していて、背負うことが出来なかったと強調しているのです。

▼このように、表面だけを読んで批判めいたことを言おうと思うならば何でも言えるかも知れませんが、一見不一致と見えることにこそ、一致があり、真実があります。
 驢馬の子に乗る場面も同様です。一見違いが大きいように見えますが、実は全く同じです。それぞれの仕方で、イエスさまの十字架の出来事を描いているのです。一見不一致と見えることにこそ、一致があり、真実があります。

▼ヨハネ福音書独自のものは、16節だけです。
 『弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが
栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、
  人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した』。
 イエスさまの十字架の死によって、復活によって、初めて、イエスさまの意図が分かったのです。
 逆に言えば、イエスさまの十字架の死と復活を、軽視する者には、そのような神話から自由になるなどと言う人には、十字架の栄光も救いも分かりません。

この記事のPDFはこちら

主日礼拝説教

前の記事

私である