苦難の生涯が始まる
2017年1月1日降誕節第2主日・新年礼拝説教より(竹澤知代志主任牧師)
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
マタイによる福音書 2章13〜23節
▼クリスマスの後の日曜日です。これが元旦に当たるのは、25日が丁度日曜日の時だけですから、計算上、7回中1回だけになります。他の6回は、クリスマスの後の年末になります。大晦日ということも7回に1回です。そのため、クリスマスの後の日曜日を、迷子の日曜日とか、忘れられた日曜日と呼ぶ人があります。
否、24日の後の日曜日がクリスマス礼拝なのだと考え、31日大晦日でも、これをクリスマス礼拝とする教会もあります。
▼玉川教会では、25日に一番近い日曜日をクリスマス礼拝としています。そのため、厳密には待降節第4主日がクリスマス礼拝になり、その後の日曜日は降誕節第4主日礼拝となります。
このため、厳密に言えば、待降節第4主日がなくなってしまいます。それが、7年中6年のことです。
何曜日であっても、25日にクリスマス礼拝を持っていれば、このようなややこしいことにはなりません。
しかし、平日では如何にクリスマスでも、主日礼拝ではないと考える人もあります。
▼ややこしいついでに申しますと、ユダヤの暦では、日没と共に新しい1日が始まります。ですから、24日の夜に行われるイブ礼拝は、実は25日の礼拝であり、何も深夜に日付けが替わるのを待たなくとも、もうクリスマスなのです。
ですから、玉川教会のイブ礼拝を、クリスマス礼拝だといってもよろしい訳です。燭火(イブ)礼拝と記しているのには、そのような理由背景があります。
▼さて、迷子の日曜日、忘れられた日曜日に戻ります。今申し上げたような根拠からも、迷子の日曜日、忘れられた日曜日などと呼ぶのは適切ではありません。そもそも、何時いかなる場合でも、迷子の日曜日、忘れられた日曜日など存在しません。
同様に、迷子のクリスマス記事、忘れられたクリスマス物語など存在しません。
どうでしょう、今日の箇所や、ルカの誕生物語の後の記事を、クリスマスのおまけくらいに評価する向きがあるのではないでしょうか。それは、間違いです。特に、今日の箇所は、後日談でさえありません。紛れもない、クリスマス物語なのです。
▼極めて例外的に長い前置きになっていますが、もう少しだけ、前提をお話ししなければなりません。
待降節の礼拝から、ずっと一つのことを強調してお話しして来ました。それは、日課に上げられた聖書箇所に添ったからでもあります。そうでなくとも、クリスマス物語には、付いて回ることです。それは、闇の中にこそ、クリスマスの星が一際輝くという点です。
このことは長くなりますから、振り返ることは致しません。
▼クリスマスとは、暗い闇の中に、神の光が射すことです。絶望の場に希望が与えられることです。
マタイ2章13節以下も、この延長上で語られています。
ヘロデは大王とも称された力のある王でした。しかし、彼は闇の中に住む人でした。以前にも詳しくお話ししていますので、箇条書き程度に約めて申します。
彼は、そもそもユダヤ人ではありません。長くユダヤ人から蔑まされてきたイドマヤ人です。当然、正統な王位継承権などありません。ユダヤ人は誰も、ヘロデを心から王として認め尊敬することなどありません。
▼また熾烈な争いを潜り抜けて上り詰めた人ですから、周囲は敵だらけでした。晩年は有力な将軍たちを次々と粛正し、それどころか、妻二人や子供までも、殺しています。
紀元前37年、最後のハスモン王アンティゴノスを処刑。
紀元前36年頃、マリアムネ1世の弟アリストブロス3世を暗殺。
紀元前29年、妻マリアムネ1世を処刑。
紀元前28年、妻マリアムネ1世の母アレクサンドラを処刑。
紀元前7年、ヘロデとマリアムネ1世との間に生まれた自分の二人の王子アリストブロス4世とアレクサンドロスを処刑。
凄まじいしか言いようがありません。
▼更に、大王と呼ばれていても、彼の権力基盤は、実は脆弱なもので、ローマの属国の王ですから、何時、ローマのご機嫌を損ねて、地位を追われるかも知れないのです。
上下水道を整備するなど、民衆に阿る政策を行いましたし、ローマにこびへつらって、オリンピックの資金を出すなどしましたが、却って、人々の反感を買いました。
▼イエスさまの家族がエジプトから戻って来た後、息子のヘロデが後を継ぎましたが、彼は、父の領地全てを相続することは出来ず、王ではなく、領主ヘロデに過ぎませんでした。
その地位を確固たるものにするために、先ず、有力なシリア王アレタスⅣの娘を娶りましたが、これがローマの警戒を産むと、離婚し、ローマゆかりのヘロデアと結婚しました。ために、アレタスⅣに攻められます。また、このような行動をバプテスマのヨハネに鋭く批判されます。
最後は、全てを失いローマによって追放されます。
領主ヘロデもまた、闇の中に済んでいました。
このような支配者の下にある、エルサレムの民衆が、闇の中に沈んでいたのは当然です。
▼マタイ福音書2章2~3節。
『「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
3:これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった』。
新しい王の誕生というニュースに、『ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった』と記されているのは、少しも大げさではない、実態だったのです。
▼このような闇の夜に、イエスさまは来られたのです。
マタイ福音書2章13節。
『占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、
そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている』。
イエスさまが来られたから、嬰児虐殺という悲劇が起こったのだ、クリスマスなどなければ、悲劇は起こらなかったと言う人がいます。クリスマスは闇に輝く星ではない、クリスマスの光が闇を創り出したのだと言う人がいます。
それは間違いです。天使は、『ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている』と告げ知らせたのであって、その結果としてのヘロデによる嬰児虐殺は勘定に入っていません。
▼逃げるように命じたのは主の天使です。そうしますと、悪いのは天使であり、天使を使わした神さまだということにもなりかねません。
勿論、イエスさまの責任とは言えないと弁明する意見もあります。第一にイエスさまは未だ赤ちゃんです。ヨセフさんマリヤさんにとっては、天使のお告げを守るのは当然のことでしょうし、ヘロデが2歳以下の男の子を皆殺しにするなどとということは、とても予想できることではありません。
▼勿論、エジプトに逃亡したことを、他の嬰児たちを見殺しにしたと言う批判も当たりません。
そういう話ではなく、イエスさまが来られた世界は、時代は、闇に包まれていたのです。マタイが語るのはそのことです。
▼16節。
『さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った』。
厳密に言えば、ヘロデを激怒させたのは、『占星術の学者たち』です。
その怒りを嬰児虐殺という仕方で、爆発させたのです。ヘロデとはそういう人物なのです。そして、エルサレムの民衆は、このような暴君の下で、光のない生活を、日々を、強いられていたのです。
▼16節。
『そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、
ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた』。
勿論、虐殺は、新しい王を逃すことなく殺戮するためでした。しかし、これをもって、イエスさまが来られたから、嬰児虐殺という悲劇が起こったのだ、クリスマスなどなければ、悲劇は起こらなかったと言うのはあまりにも乱暴な話です。
それは、むしろヘロデの暴力を、暴力による政治を肯定してしまうことです。
▼さて、13節後半。
『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、
わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい』。
そして、19~20節。
『ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
20:言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。
この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった』。
何故エジプトなのでしょうか。ヘロデを逃れ、ローマを逃れるとすれば、当然エジプトなのでしょうか。
理由があります。
理由の一つは勿論15節です。
『それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、
主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった』。
この預言の成就も含めて、エジプトという地名には特別の意味があります。
出エジプト記です。
そこに描かれた出エジプトの出来事であり、過越の出来事であり、更にはシナイ契約のことです。
▼イエスさまの生涯は、その始まりから、出エジプトの出来事であり、過越の出来事であり、更にはシナイ契約と深く結び付いているのです。
今日の説教題を『苦難の生涯が始まる』としました。クリスマスは、私たちに取って闇の中に光り輝く話なのですが、イエスさまにとっては、『苦難の生涯が始まる』ことなのです。
▼22節。
『しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、
そこに行くことを恐れた』。
エジプトから戻ったものの、そこは安住の地ではありません。
22節後半から23節。
『ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
23:ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、
預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった』。
ベツレヘムで誕生したこと、ナザレ人であったこと、これは預言に併せて都合良く記したということではありません。
ベツレヘムは預言者ミカに由来し、18節の『ラマで声が聞こえた』以下は、預言者エレミヤ、そしてナザレはイザヤに起源を持ちます。
この預言者たちの預言は、国の滅亡、神による裁きに強調が置かれています。
正に、暗黒の時代が預言され、その時代にこそイエスさまは誕生したのです。
▼しかし、これらの預言には、光が隠されています。希望が隠されています。しばらくは苦難が続くけれども、やがては光が見えるというようなことではありません。
エジプト逃亡も、ヘロデの虐殺も、このことに重ね合わせて受けとめなければなりません。
イエスさまは、イスラエルの歴史と共に居て下さるのです。イザヤ・エレミヤ以来の八百年もの歴史の中で、受けとめられなければならないのであります。
イエスさまは、エジプトに逃れる民と共に居て下さるのであり、子どもを失って悲痛の叫び声を上げる民と共に居て下さるのです。
イスラエルの民の歴史はそのような歴史だったのです。このイスラエルの民と共にいて下さるのがインマヌエルの神なのです。
▼イザヤ書9章1節。
『闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた』
これは、マタイ福音書4章15~16節に引用されています。
私たちの信じる神さまは、『闇の中を歩む民』と共に居て下さって、そこから一緒に光を見上げる神さまなのです。
幼いイエスさまがエジプトに逃れた話は、イエスさまが民衆を見捨てた話ではなくて、『闇の中を歩む民』と共に、エジプトで、他の場所で、共に居て下さって、共に苦しんで下さった話なのです。